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鹿児島への旅行

母の初盆仏迎えと仏送りをすませて、鹿児島旅行に出かけた。夕方、大阪南港でサンフラワーに乗船し、翌朝、鹿児島志布志湾までの16時間の船旅を楽しんだ。到着当日は鹿児島の指宿砂風呂と知覧平和祈念館に出向き、二日目は福岡大宰府天満宮にお参りして一泊して、翌夕無事帰宅。
今までも一人旅はしてきましたが、家に待つ人がいない状況で、思った事があります。それは、一人になったという事実の再認識です。旅行地の知らない場所では、家族連れやカップルの中で、当然ですが誰として気に留められる事もなく、又自宅にも帰りを待つ人が居なくなった自分の生活を考えると、誇張した表現かもしれませんが、孤独になったなという事のありありとした実感でした。
旅は、普段の生活から離れ、見聞を広げ、自分を見直すいい機会と改めて実感しました
2017太宰府天満宮
母が生前闘病中、あなたは病院で定期健診受けて、私のように手遅れにならないよう、体に気をつけなさいよと言う言葉をふと思い出して、願掛けも兼ねて、福岡太宰府天満宮にお参りしました。
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気持ちを切り替える

母が亡くなりました
生きる事を諦めず、不満も言わず闘病しましたが、最後を迎えました
眠るように息を引き取る姿を看取る事ができました
孤独感と虚無感はなかなか癒えませんが
通夜、葬儀・告別式、49日法要、納骨を済ませ次の世界に送り出し一区切りできました
今日モカの1周忌も終えました
明日から気持ちを切り替えて、一人暮らしを楽しむように心がけたい

同級生のこと

昨日、中学時代バスケット部の同級生の葬儀に参列した。
癌を患い、お母様と4年間二人で暮し、闘病していたが、とうとう次の世界に旅立った。
柩へお花を手向けたが、同級生の顔を見ると、寂しくて、辛かった。
最後にお母様も花を手向けたが、笑顔で息子の顔を撫でながら声をかけている姿を見て涙が止まらなかった。
お母様は、私の母と習字教室の友人でもあったから、母の現況を聞かれた時に返す言葉がすぐに出なかった。
生まれた時から起算すると、常に老けるわけだけど、
逝く時から逆算すれば、今が一番若いとも言える。
私の前にも、次の世界に続く橋が当然ある。
もう足をかけ始めているかもしれない。
だから、
私は思った事、好きな事を最優先にやって行こうと再認識した。

テーマ:独り言 - ジャンル:日記

母のこと5

今日から4月が始まり、桜を見ることができた

今朝病院へ行くのに、車までの数メートルが歩けなくなるほど、足腰が弱っていた。おんぶして車になんとか乗せたが、50年前、私は母におぶってもらっていたのにその50年後、私が母をおぶるようになった。

人生は変化の連続
楽しい時、嬉しい時、喜ぶ時、逡巡する時、悩む時、苦しい時、悲しい時
そして、人生は巡り、最後は必ず来る

私は思った事、好きな事を最優先にやって行く

母のこと4

今日で、膵臓癌の余命告知から1年間を過ごすことができた。
姉が昨年4月から介護休暇を取得して、母の通院、身の回りの世話、そして
私の食事の用意もしてくれている。
今日も抗がん剤治療で入院するというが、頭髪の脱毛が以前より確実に少なく
なっており、多分抗がん剤ではなく、緩和治療に移行している。
主治医は当初から余命は、本人の気持ちで変わります。との助言があり、
先生は診察時には、折にふれて母に
『変わりありません』
『悪性部分が少し小さくなった』
『今の調子で、少し動きましょう』
とか言うそうで、今後に繋がる、良い言葉を聞いた診察日には母は、
いつもより言葉がしっかりしているし、前向きな発言がある。
姉は、以前はお世辞にも料理がうまい方でなかったけど、今は母の免疫力
アップを考えていろいろな料理を作っている。
でも食欲は徐々に落ちてきていて、食べたくない母と食べさせたい姉が
お互い気遣う姿(言い合う姿)を見ると本当にさみしくなる。
3月一杯で姉の介護休暇も1年を満了して、復職せざるをえないので4月からは介護再サービスを受けながらの治療継続となる。
1年間姉にほとんどを任せていたので、
4月から私で出来ることをやっていこう。
人生は一度きりだから、仕事なんかどうでもいいし、思うようにやる。
50歳の喜怒哀楽
50歳。これからは今以上に、人との関わりを大事にしながら、知らない世界を見聞したい。前へ歩く道は細くてもあるけど、後戻りできる道はもうない。

モン

Author:モン
51歳になりました
55歳で区切りたい

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